ハッピーバースデーエンド。
自分が死んでから10年。
先日、また一つ。歳を重ねた、
何の変哲も無い繰り返しのような、ただ続いていく毎日だ。
物心ついた時からいつもふと、考えることがある。
何に引き止められてこの世界に留まっているのか?
毎日、どうして私は生命を維持する為に、必死になっているのか?
どうしても夢中になれない人ごとのような人生。
空っぽの自分を抱いて眠る夜、 迎える朝には絶望が光差すカーテンの隙間。
そして今日も。終わりに向かう道の途中で、迷い遠回りをする。
こんなの全部、贅沢で、人から言わせれば考えすぎの延長線上。
知ってるよ、分かってるよ。そんなこと。
弱いねって言うんでしょ?病んでるね、って笑うんでしょ?
消えてしまっても誰にも気づかれない世界にいるはずなのに、
どうしてまだ、息を吸い息を吐いているのだろう?
あの頃、、、10年前も同じように、こうやって暗闇の中にいた。
出口のないトンネルの、かすかな光さえ見えなくて、
何度も何度も歩くこと、辞めようとした。
そんな自分が嫌いで嫌いでどうにかなりそうだった
だから、私はその時の私を自分で一回殺した、事にした。
そして、そっからもう一度、生きることを覚悟した。
精一杯、死んだ自分が悔しがるような、人生にしたくて、
何らかの、意味や答えが欲しくて、必要とされる何かになりたくて
背伸びしたり、走ったり、無理したり、これでも頑張ったつもりだった。
だけどあれから10年。
10年前の自分に今の自分を見せていたら、
きっともうこの世界には自分はいなかったのだろう、と思う。
現実はいつだって、ハッピーエンドじゃないものだ。
だけど、それでも私は今日も生きている。
この10年、答えが欲しくて、音楽や映画、読書、
とにかく聞いて、観て、読んだ。できる限り周りの人の話も聞いた。
そうしてようやく分かった人生に大切なことは、
答えなしに生きる事と幸せの鍵は家族にあると言う事。たったそれだけ。
くだらない、人生なんてそんなもん。
当たり前だけど、同じところを行ったり来たりしているような
馬鹿げた1日でも命が削られるのだから、
面倒だけど、やり過ごせば終われるのだ、悩むことはない。
私が生きている事に、意味も価値もなくていいのだ。
ここからまた10年が始まる。生きる覚悟をしよう。
もし10年後、自分が生きているのなら
どんな世界を見ていますか?